ロック


 壁に背を凭れている王泥喜の腿に、響也は頬を擦りつけるようにして眠っている。広いとは言い難い王泥喜の部屋には、発泡酒の缶が幾つも転がっていた。
 中には本物の麦酒もあるが、それは響也が差し入れとして持ってきたもので、家計の苦しい王泥喜はもっぱら発泡酒を愛飲している。
 冷蔵庫の中にあった僅かな貯蓄はこれで全て排出した事になり、暑い季節が訪れると、外歩きから帰った後の冷えたビールは格別なのだが、此処しばらくは我慢を余儀なくされそうだ。
 響也の肩に置いているのと反対側の手で煽る缶の中身も少ない。先程から習慣のように繰り返した動作だが、飲み口から出てくる液体は生緩くなっていた。
 思わず顔を顰める。

「…ん…。」

 すーすーと、規則正しい寝息の合間に声が漏れ、王泥喜は顰めた顔を緩めた。王子さまのような彼が、このこの狭くて汚い部屋にいることに一瞬酷い違和感を感じた。
「牙琉検事。」
 肩に置いた手でゆさぶってやっても、多少身じろぐ程度で一向に起きようとはしない。どうやら、完全に潰れてしまったらしい。
 響也は王泥喜より酒に弱いが、王泥喜自身も取り立てて強い方ではなかった。
今も、良い感じに廻ったアルコールによって、意識は朦朧としている。あれ、何でこんなに飲んだんだっけな…。王泥喜が霧に隠された記憶を探ろうと瞼を閉じた瞬間に、声がした。

「デコ…のばか…。」

 それは唯の寝言で、響也は相変わらず長い手足を無防備に投げ出して眠っていた。いや、指先は怒りの為が、王泥喜の太股に爪を立てた。微かな痛みが、王泥喜の記憶と意識を手繰りよせる事を可能にする。
「まだ、怒ってるんですね。」
 王泥喜は苦笑して響也の頬にそっと指を伸ばす。
 夢の中で憤慨していても寝顔はあどけない。人はだいたい無防備には眠っているものだろうけれど、普段ことさらクールを纏う彼の場合は特別に幼く感じた。
 底に僅かばかり酒の残った缶を畳に置き、響也が頭を乗せている方の脚を動かさないように注意しながら、上体を曲げて寝顔を覗き込んだ。
 
 酔っぱらったふたりが選んだ話題は、よせばいいのに『ロック』。当然の成り行きで喧嘩にまで発展した。
「煩い」と告げる王泥喜と「ライフワーク」な響也。相容れるはずもなく。言い合いは、ビールの合いの手を入れながらエスカレートしていった。散々悪態をついた王泥喜に対して、響也も何だかんだと反論していたが、気付けば眠り込んでいた。

 確かに『ロック』は好きではない。喧しいのも本気の本音だ。ならば『演歌』ならいいのかというとそうではない事に、王泥喜は気付いている。
 響也が大事に思っている時点でアウト。何の事はない、ただの嫉妬だ。つくづく心の狭い人間だが、それにもやはり理由がある。
 端正な響也の貌を眺めていると、この狭くて汚い部屋に響也がいる違和感と同じように、平凡でチビで駆け出しの自分が彼の横にいることに疑問を感じるのだ。
 相応しくないのではないかという疑念と、どうして、彼が自分を選び取ったのだろうかという想いが沸き上がる。
 確かに、響也が自分を受け入れたのは、彼は苦境に立たされ辛い思いをしていた時期だった。付け込むように優しくしたのではないかと言われても反論はない。手段など選べる立場ではなかったし、今だってそれは変わらないだろう。

 崩れそうな強がりなど、二度と言わせたくない。

 最初に抱いた感情は、本当にそんなもののはずだったのに、気付けば、ただ牙琉響也という人間を好きになっていた。
 王子さまみたいな容姿でなくても、好きになったのかと問われれば「大丈夫です」という自信は、王泥喜にはない。この貌で、検事で、ロックを奏でる…そんな彼を好きになったのだ。それが欠けていたらなどと考えにも及ばなかった。

 …あ、やっぱり自分が悪いんだ。

「俺が馬鹿でした。ごめんね、響也さん。」
「…ホースケ…?」
 耳元で囁くと、響也がとろりと惚けた笑みを貌に浮かべ、王泥喜を見上げる。殆ど不意打ちだった王泥喜は頭に登った熱をどうすることも出来ない。
 反則です。その表情。甲は乙に対して男を抑え切れません。
追い打ちをかけるように、響也の手が無遠慮に王泥喜の額をなぞった。ぞくぞくと背筋に刺激が走る。
「ホースケ…凄く赤い。」
「誰のせいだと思ってるんですか、全く。大好きですよ。」
 王泥喜は指を捕らえて唇を寄せた。手入れの行き届いた綺麗な指だけれど、ギターを弾く部分は固く、爪は演奏の為に割れた痕を刻んでいた。
「ん、僕も…って、何してるの!?」
 がばっと音でもしたように、覚醒した響也が跳ね起きる。
 けれど、王泥喜はそれを許さなかった。『無防備に寝る響也さんが悪い。』そう囁いてぎゅっと抱き締めてやれば、拗ねた貌でも抵抗は止めた。

「…僕はまだ、怒っているんだからね。」
 小声で訴える響也に、王泥喜は気付いた真実を告げてやる。そうして、熱血弁護士らしく残りは態度で示すのだ。

 ロックは変わらず嫌いですけど、響也さんの中にある『ロック』なら大丈夫です。

〜fin



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